私が教会に興味を持つ強いきっかけとなったのが
マリア様像。
ゲーム用の背景用写真素材を取りたくて
ある日、横浜の山手の洋館群にやってきました。
で、写真をパシャパシャ撮っていたのですが
そのなかに素敵な教会が。
こっそりしのびこみ、
教会写真も素材として撮ろう!と
思ったのです。
で、まず目に付いたのがマリア様像。
マリア様像の前に立ったのですが、
次の瞬間、
あまりのお姿の美しさから
体が硬直し
一歩も動くことができず。
真っ白な純白の優しいお顔のマリア様…
正直、マリア様像を見たのはこれが生まれて初めてでした。
だからかその衝撃の強さといったら。
カメラを構え写真を撮りましたが…
なんとなく…
罪悪感のようなものが拭えず、
その時は教会の中には入らずに帰ってきてしまいました。
けれど帰った後もそのマリア様像の事が忘れられず。
たまたま大学でキリスト教とは何か?について軽く齧ったのですが
それでもよく理解できず。
本屋さんで聖書のすばらしい言葉を抜粋し分りやすく解説した本を
見つけたのでそれを購入し家でじっくりと読んでいました。
図解雑学「聖書」とかも読みましたが
それでもやっぱりどっぷり仏教につかって生きてきたので
どうしてもキリスト教の事が上手く頭に入らない。
なんとなく体調も優れなかったし
もやもやしていたのもあって思い切って
教会の礼拝に出てみることに。
まず訪れたのは近所のプロテスタント教会。
プロテスタントは聖書を主体としている教えがあって、
牧師さんの言葉の一つ一つがとても分りやすく心に染みました。
けれど、
マリア様像がいらっしゃらないしプロテスタントには
マリア様信仰というものがない。
カトリックにいけばいい、という話をネットかどこかで聞いて
今度はカトリックのミサに出席しました。
ずっとお会いしたかったマリア様像とも会う事が出来て満足満足。
しかし…カトリックは伝統とか格式とか…とにかく
キリスト教ビギナーの私にはミサの内容がまったく理解できず
何度か通うも結局ついていく事ができませんでした。
ミサや礼拝は日曜日。
家族といっしょに過ごせる貴重な時間でもあるので
それを犠牲にまでしていく必要があるのだろうか?
家族はクリスチャンじゃないし…
というわけで
ミサや礼拝に出るのをやめてしまいました。
だからクリスチャンからの情報もそこでぱったり途絶え
結局何が何だか良く分らない状態のまま現在に至ります。
一応自分で祭壇も作ったんですよ。
のこぎり使ってペイントして模様も入れて。
でカトリック教会の売店で売っていた小さな十字架と
マリア様のお写真、それから手作りのロザリオも入っています。
でも私自身もそうですが祭壇やそららの品々は洗礼を受けていないので
ただの飾りでしかないのかもしれない。
祭壇にはちゃんと観音開きの扉が付いていて
心がそちらに向いたときにだけ扉を開けてお祈りするようにしています。
が…
今一キリスト教のお祈りの仕方とかちゃんと分ってないので
あまり扉を開けて祈る事はないです。
かといって悪戯に開いて眺めるなんていうのもなんとなく
恐れ多いというかなんというか…。
ミサとか礼拝にちゃんと出ればいいだけの話しなんですけどね。
そんなわけで私はたまに
平日、誰もいないカトリック教会に出かけて
マリア様像とイエス様にお祈りをしています。
聖書のことばで…なんだったかなぁ?
人に見せるための祈りはよせ、みたいな事が書いてあったと思う。
だからかミサや礼拝で大勢の前で
私、ちゃんとお祈りしてますよーってアピルんじゃなくて
一人静かに祈るのがすきなのです。
勿論可能なら儀式にも出たいですが
それは今後家族と相談、かな?
あとカトリックもいいけど内容にどうしてもついていけないので
出るとしたらプロテスタントの方が分りやすいかなぁ…。
そんなわけで迷える子羊は今日も迷走中。
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